バドミントン部OB会

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中22・高2期  藤井 守一

OB・OG会の発足

 想えば戦後2年、未だ焼け跡が残り、伊勢佐木町の裏手に米軍の飛行場があった頃でした。山手英語会に通っていたときに、学長の松信節子さんが米国留学中に購入した一式を貸してくださって、これにはまりこんだのが私のバド人生の始まりでした。気が付いたら57年も打ちすぎてしまった。この会の発足の遅れを関係者の皆様に深くお詫び申し上げます。また、60年史には創部が1年遅れて記載されていることが判り、残念でなりません。
当時、間門小学校に同居していた三中は未だ男子校だったがために、「女の子がやるような羽根突き」は体育としては簡単には認めてくれず、ダンス部を認める方が先だとの極論もあった由。そこで、全く未経験の友人達を一人ひとり口説いて回り、活動らしい活動をして見せるしかなかった。それでも不足の人数は、嘘も方便とばかりに名前だけ借りて登録したりした。その甲斐あって、23年5月に部として認められ、部費3,000円をいただいたときの喜びは今も決して忘れることはできない。
 さらに驚いたことは、あの鬼のように怖かった体育担当の深沢先生がポケットマネー3,000円を追加して出してくださったこと。また、YMCAの体育館まで来られて練習に参加してくださった時には、どんなに感激したことか今でも忘れられないことです。当時はバドをバトと書く者もいた。貴重品だったシャトルを初心者ばかりの部員によって一振りで壊されてしまい、器用貧乏だった私などは家に持ち帰っては夜なべでセメダインを使って修理した。
 女子師範の講堂を借りての練習の時、女子生徒の弾くピアノから流れくる「エリーゼのため」や「トルコ行進曲」は、懐かしく甘酸っぱい青春の想い出として今でも身震いするほど。
 末筆ながら、選手を数多く産出して輝かしい実績を残してくださった後輩の皆様に、心から感謝の言葉を贈りたい。さらに、このたびの発足の機会を与えてくださった方々に厚く御礼を申し上げます。

【「牧陵会だより」(平成16年7月1日発行)から転載】
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